マルセイユタロット 公開占い
第1回
「人類の自然に対する力の誤用とその未来」
(2008年9月12日公開)
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それを父なる神と呼ぼうが母なる大自然と呼ぼうが、あるいはただ単純に「天」とか「宇宙」と呼ぼうが、それはたいした問題ではない。
大切なのは、この世界において、万物の頂点に立っているのはわたしたち人類ではなく、それよりもはるかに偉大で優れた「より高い意識」の存在であることだ。
マルセイユタロットは、そのような「より高い意識」とコミュニケーションするための“共通言語”であり、この共通言語を通して、わたしたちは自分の個人的な問題や気になる社会問題についてのアドバイスや洞察を得ることができる。それを俗には「占い」と呼ぶ。
けれど、この「共通言語」をただ自分の関心事を占うためだけに使うのは、言ってみれば自己中心的な、利己的な使い方かもしれない。「より高い意識」はボランティアのように、ただ人間たちの疑問に答えてあげることがしたくてこの共通言語を与えたわけではないはずだ、というのが、占い師としてのわたしたち夫婦の考えであった。
「高い意識」の側にも、何か人間たちに訴えたい、知らせたい、伝えたいメッセージがあるはずだ。
そこで「公開占い」の初回のテーマに関して、宇宙からの最も根本的なメッセージ、「より高い意識」である宇宙が今一番人類に伝えたい事柄は何か、をまずは占ってみた。
宇宙によるメッセージは、「どんなにこれが大事な話だと言っても、聞きたがる人は少ないだろう」と言わんばかりの1枚のカードで始まっていた。がそれでも、宇宙は人間たちの益のために、このメッセージを真剣に聞く人たちのために、その「大事な話」を、率直にかつ分かりやすく、そして寛大に伝えようとしていることが、隣り合うカードに示されてもいた。
宇宙は、一つのことをひどく懸念していた。
それは、人間たちが自分たちの知識や知恵、そして科学技術や医療技術などの最先端の技術を進歩させることに躍起になり、そのことにばかり心を奪われて、自分たち人間が「より高い意識」である大自然また宇宙の一部で、宇宙に依存している弱小な存在に過ぎないことを忘れてしまっている、という事実であった。
人類は自分とのつながりを自ら断ち切って、さらなる進歩、進化ばかりを求めて無謀に突っ走っていると宇宙は言う。
そしてそれは、命と力の源である大自然、宇宙からの逸脱であり、反抗であり、命の源に依存することへの拒絶であると。
さらに、その逸脱また反抗は、とどまるところを知らないと。
宇宙から見れば、人類は、自分の楽しみや価値観に酔い、大自然という優しいお母さんに自分がいつも養われていることを忘れて家を飛び出した「愚かな反抗息子」であるというのが、カードを通して示されていた。
ただ、人間の愚かさは、子供の純粋さゆえの愚かさとは全く違うところがまた、厄介なのだとも宇宙は告げていた。
そして宇宙の非難の矛先は、人間たちの中でも、ある特定の階層の人たちに特に向けられていた。私自身驚いたことに、その階層とは、知識や見識が豊富な使命感に燃える専門家たち、人類の進歩や利益のために良かれと思って日夜研究と努力を惜しまない識者たち、トップレベルの医師や研究者や科学者など、人類にとってはなくてはならない最新技術のプロ集団のことであった。
私利私欲のために贅沢をしたり、他者を傷つけるような、誰の目から見ても明らかな「悪者」たちももちろん、宇宙は非難の目で見ているはずだが、そうした人たちよりもはるかに宇宙に怒りや懸念を抱かせているのは、人間たちの中でもトップレベルの「専門家たち」、人類の進歩に最も貢献し、社会の中では高く評価され、尊敬され、感謝されているはずの人々であった。
ただ、宇宙が非難しているのは、そういう専門家たちがもともと抱いていたであろう、人々への善意ではなく、そうした人たちが使命感ゆえに振るうことをいとわない「大きな剣」のようである。
この「階層」を表しているカードの人物は、鉄の鎧(よろい)で身を固め、冷たい輝きを放つ大きな剣を手にしている。自分自身の個人的な喜怒哀楽や愛情、情けといったものは鎧の内に秘め、国を守る王、また父、そして戦士としての自分の役割と使命を果たすために、いつでもその大きな剣を振り下ろし、他国の者たちをその刃にかける人物だ。
その剣の本質は、残酷で非情である。
命も絆も愛情も、一太刀に切り裂く。
そして、その剣を振るう人物には迷いがない。
宇宙は、この人物のように使命感と責任感にあふれ、自分が属する人類の生活や益を守り向上させるという「役割」に徹して、迷うことなく非情な「剣」を振るって他の生命を犠牲にしている「専門家たち」を激しく嫌っているようだった。
この「生命の犠牲」というのは、衣食住に“最低限必要”な犠牲、たとえば穀物や一部の動物を(グルメというのではなく生きるために必要で)狩って食べることではなく、あくまで人類の“進歩向上”のための犠牲であり、分かりやすいところで言うなら、環境汚染や動物実験、薬品や生活用品に含まれる動物由来成分のことなども指すと考えられるだろう。
それと同時に、宇宙はもう一人の人物をも問題視していた。
それは、この「王」の妻である人物である。
この女王は身ごもっており、つまり妻であると同時に母でもある。先の「剣の王」の妻としてふさわしく、この女性もまた剣を手にしている。その剣は血の色、そして火の色である赤色をしているが、これは、この女王が自分の夫や子供という愛情の対象のために情熱を燃やし、またその情熱ゆえに迷うことなく剣を振るうということを暗示している。
彼女は夫を愛し、夫に尽くし、我が子を守ることに命をかける。
そのために必要であれば、自分を産んでくれた母親さえも、その剣にかけるだろう。彼女の愛や献身もまた、他者に対しては非情になりうる。
この女王が表しているもの、それは、夫である王が表していた「専門家たち」の家族であり支えであり、同時に守られている人々、つまり、「専門家たち」の研究や知識技術の恩恵を受けている人類全体と考えられる。
つまり宇宙は、人類の進歩のために尽力する専門家たちが、そのために他の生命を犠牲にしていることを非難していると同時に、社会の人々がその恩恵を受け感謝し支えているかぎり、専門家たちは研究をやめず、したがって他の生命の犠牲はなくならないこと、つまり結論を言えば最先端にいる人間たちだけでなくその後ろにいる人類すべてが「他の生命の犠牲」に加担しているという現実を嘆いてもいるのだ。
そして人類は、進歩していく自分たちの生活を犠牲にすることよりは、自分たちの「母」であるはずの大自然と敵対することを選ぶであろう、ということもまた、ここには暗示されている。
実は、今回の宇宙の厳しい指摘の内容は、占った私自身は生来の性分というか感覚で、ずっと以前から“察知”していたものだったが、それにしても、宇宙がここまであからさまにハッキリと、文字通り歯に衣着せぬ物言いで伝えてきたことには、正直恐ろしい気持ちにさえなった。
もうこれは、私個人の妄想でも空想でもなく、宇宙が直接突き付けてきた、逃れられない「最後通牒」なのだから。
ただ、今回のカード展開で唯一の救いは、宇宙がまだ「受け入れる心」を無くしてはいない、ということだった。
宇宙の本心として出ていたのは、「寛大な母」を象徴するカードであった。先の「剣の女王」とは対象的にこの母は、自分の子として自分を求めてやってくる者は、誰でも寛大に受け入れてくれる。ただ自分を母と認め、慕い、頼ってくることだけがその受け入れの条件なのである。
だから宇宙は、人類に対して最後通牒を突き付けているとはいえ、まだ受け入れの門戸を閉ざしてはいない。わたしたちひとりひとりが人類の一部として、かつて反抗息子として母に背を向け家を飛び出したことが事実だとしても、今その自分の過ちに気づき、反省し、自分が非力な子供で母親 − 大自然また宇宙で表されるより高い意識 − から離れては生きてはいけないのだということを素直に認め、庇護を求めて「母」のもとに帰るなら、宇宙はわたしたちを受け入れ、守り、養ってくれる。
具体的には、「剣の王」と「剣の女王」の関係で示された「人類至上主義」的な考え方を捨て去るようにと、わたしたちは今まさに宇宙から要求されている。
自分たち人間の進歩、進化、生活レベルの向上を望み、それを求め、優先させ、他の生命やその犠牲に無知であったり鈍感になるようなことがあってはいけないし、今そうであるなら改めなくてはいけない。
さらなる進歩や快適さを求める気持ちは捨て、自然や生命を操り利用するのではなくその一部として地球の片隅に謙虚に住まう気持ちを持てと、宇宙はわたしたちに告げている。
実際、宇宙がいくら「寛大な母」の気持ちを持っているからといって、わたしたちにはこの寛大さに甘えている余地は残されていない。
宇宙の考えを表すカードとして「寛大な母」のカードと並んで出たのは「自己保存と自己防衛」のカードであり、極めて受動的なカードであった。これはつまり、宇宙は何もわたしたち人類に「お願いだから帰って来て」と頼んでいるわけでも、「帰ってきてくれないと困る」と嘆いているわけでもないことを意味している。
宇宙また大自然にとっては、自己保存と自己防衛が最重要課題であり、仮に人類すべてがこぞって宇宙から逸脱し、結果的にこの先の未来のどこかで宇宙から“排除”されてしまったとしても、宇宙にとっては痛くもかゆくもない。宇宙は人類だけが滅ぶことについては何一つ困ることはない、ということなのだ。
宇宙から「異物」として排除されないために宇宙のもとに立ち返るかどうかは、まったくもってわたしたち次第で、宇宙はその選択に対して積極的に救いの手を差し伸べてくるようなことはないのである。
今回のカード展開の結末は、宇宙からの以下の警告で締めくくられている。
「今のままではあなたたち人間は母であるわたしを退け、わたしとあなたたちとの“母子(おやこ)関係”は断絶されることになるでしょう。そうなった後のことはもう、わたしは責任は持てませんよ」
わたしたちは、宇宙のメッセージに耳を傾けるだろうか。
(占い&文: 黒猫)
「公開占いに際してどのような問題を占えばよいか」という占いで、力(逆位置)とソード3(正位置)が出たので、「ライオン=自然」に対して間違って力をつかっている人間に対して「宇宙はぜひ本音でいいたいことがある」のだと解した。宇宙・自然・運命からのメッセージに「本音」も何もないだろう、と思われる方も多いだろうけれど、言い換えれば、通常のアドバイス的なメッセージよりも性急に我々に伝えたいこと、と解釈すれば良いのだと思う。
そこで、人類と自然の関係において、具体的にどのような指摘があるのか、占った。その結果がこれである。
「自然を知恵でコントロールする」という、古代から特に西洋キリスト教圏で当然の道理のように思われてきた行為、それがタロットカードでは『力』に表されている。公開占いのテーマを占った時、逆位置でこの『力』が出ていた。直観的には遺伝子操作やクローンなどのような「自然のシステムへの不当な介入」のことかとも思った。また、温暖化を止められないことなどのように「自然をうまくコントロールしきれなくなっていること」が問題なのかという憶測もあった。
ところが、実際にそのテーマを占ってみたら、その『力』のカードが逆ではなく正位置で、しかも「宇宙が懸念すること、(ハッキリいえば嫌がっていること)」の場所に出ているではないか。これはつまり、「人類が自然をうまくコントロールする」ことそのものに対して、宇宙は「もういい加減やめとけよ」と思っているということになる。地球温暖化などを引き起こしている人類は、「自然をうまく操れていない」から問題なのではなく、「自然を操ろうとしていること」自体がそもそも問題だったのだ。
そして問題の核心は、二酸化炭素排出などの環境的な分野にあるのではなく、人間も含めた「生物」の生命そのものに関わるところにあるという。
具体的には本能、生殖、生態、発育、内外の器官などの問題が生じ始めていることが考えられるが、今のところは人類の子孫を根絶やしにするところまでは宇宙は考えていない。警告を発し、人類が根本的に改善をすればよし、という段階である。しかし、それは最終段階でもある。この問題にはもう、分刻みの期限がある。その期限前に、人間が他の生命や自然に対する不当で過剰な介入をやめなければ、確実に強力な「天罰」が下ることもまた示されている。
世紀末の破滅論のようにムダに危機感をあおって人びとを信心に走らせるような意図はまったくない。そもそも、もう信心なんていってる余裕はない。特定の宗教や占い師や科学者や国が儲けることもまた無意味なくらいの大打撃は、十分にあり得る。最悪の場合は、お金や物質的資産や土地の権利など何の価値もなくなる時がくる。蓄えた水や食料さえ用をなさなくなるかもしれない。
今、あえて宇宙が「本心」として表したカードには、大いなる母性と、「条件付きの慈悲」が示されている。この基本的にポジティブなカードは、宇宙がまだ、広い心の母のように人類を見ていることを表すが、このカードの「母」は怒るとまた恐ろしく感情的に「非情に」なる母でもある。宇宙は「仏の顔もラストです」といっているのかもしれない。
また一方、このカードを純粋に「人間の母たち」と考えることもできる。そうなると、宇宙=運命は、人類、あるいは動物たち全体の「母親」や「母になりうる存在」を懐に抱き込んだことにもなる。宇宙自体が「母的」であり、人類を含めて雌雄のある動物たちの母を愛し、単性の微生物たちの母となる海や大自然をこそ愛している。そして今、我々の「母たち」を宇宙は胸元に抱き、「人質にとった」のかもしれない。
私自身、今の世界に危機感は持っていた。が、正直なところ、これほどとは思っていなかった。「公開占い企画の手始めに」と夫婦で「宇宙のいいたいこと」を占ってみたところが、いきなり最後通牒をつきつけられた。
実は1999年、世紀末に際して、きたる21世紀について雑誌の企画で占った時、やはりこの「強き母」のカードに危機が訪れることが出ていた。人口爆発などを恐れている時代錯誤な連中がまだいる中、本気で少子化対策をしないと、ある日パッタリと出生率が上がらなくなる時がくるぞと感じていた。しかし一方で自分でもどこか、それは未来を先取りしすぎたのかもしれない、ここで人類滅亡だなんだと騒ぐのはヤリスギだろう、などと思っていた。
そして今、また同じカードが宇宙の本音として出てきた。冒頭にあるように、そもそも「宇宙が本音でいいたいことがある」と解した例のカードもまたソードの「3」であった。「母」なるカードの番号と一致する。宇宙は「3」という数字にもメッセージを託し、「3」のもつ生産性=出産=命の誕生と育みについて警鐘を鳴らしてくれたのかもしれない。
となればますます、「生命」が危ない。我々がこれから育む生命が危ない。生命を生み出す母たちが危ない。動物たちの母や、広い意味での「生産性」が危険にさらされれば、人類の食料も危険である(これはすでに相当危険にさらされている)。例えば今年2008年、オゾンホールが過去最大になり、南極全体を覆うという。オゾン層を通さずに太陽光が降り注げば、今生きている生体だけでなく、生殖能力を通して未来の子孫にも大打撃が生じるかもしれない。人類を含めてあらゆる動物に子供が生まれなくなるかもしれない。宇宙は「母」を愛し、母たちの被害を今は望んではいないが、『「母」を司っているのは私だ、君たちの「母」は私の手の中にある』と、この場で「本心」として訴えてきたのである。
振り返れば、我々はありとあらゆる場面で「母」をないがしろにしてきた。特に人類は、古代には「人間の母・生き物の母・母なる自然」を最大に敬う信仰が各地にありながら、科学が進み、社会の組織化が進み、科学の発達に都合が良いように、国家・領地の拡大に都合が良いように、ドライで攻撃的な論理が優先されるようになってきた。自然に対しても然り。自然を人類が浸食するのに都合の良い論理=「自然は神が人類に与えたものだから人類が都合よくコントロールしてよい」という宗教的お墨付きを、いち早く得た西洋人は、大自然を自由に開拓し、動物植物の生息地を浸食し、人間と共に生きてきた動物をも蹂躙し、そればかりか科学の発達の遅れた同じ人類までも蹂躙してきた。そしてその西洋人に追いつかんとして模倣し、同じ論理を享受してきた我々もまた今となっては同罪である。
確かに、「母」はそもそも、最前線に出ることはせず、いつも背景のように、大地のように、産み落とした生命を支えてきた。「子」はあえて母を世話する必要はなく、ただ愛し、「正しく依存」すればよかった。宇宙がいいたいのもこのことである。正しい母と子の関係に戻れと。宇宙という母、大自然という母、あなたを生み育てたあらゆるものを母と思い、感謝したり肩を揉んだり病院や老人ホームに連れていったりなんてしなくていいから、「母の居場所をうばわないで、分をわきまえて〈子〉らしく生きよ」と。
動物はとっくにそのことを知り、自然に逆らうことなく、自然の子らしく生きてきた。人間だけが、「母=自然」に無理に服を着せ、「母=自然」の居場所を勝手に限定し、「母=自然」の腹を勝手に割いて手術を施してきた。それでも「母」は強力な自己治癒力で自己再生し、今も頑張って生きている。人間という馬鹿でお節介の出来損ないの子だけがいまだに、そんな健気な母の身体に傷を付けては縫い合わせ、ワルいものを食わせては薬を処方している。
ここまででも、本当の意味で「強き母」を大事にすることの基本が、わかる人には分かっただろうと思う。要するに、強き母から見捨てられないようにするためには、「余計な介入をしない」ことであり、「余計な介入をしなければならなくなるような親不孝を最初からしなければいい」のである。
親の生活をむしばんでおいて、罪滅ぼしに仕送りや医療介護をするというような、愚かな矛盾をやめればよい、という、単純明快ながら厳しいメッセージである。大自然という母は、人間が過剰な無心さえしなければ、自分で永遠に生き続ける力を持っている。本当に人間が邪魔なら、人類を滅ぼして自分が生きるだけの力も持っている。現在、人間がおこなっている自然への小手先の介入は、自然を守っているのではなく、自然に滅ぼされることを懸念して「母」におべっかをつかっているにすぎない。
では具体的には何をすればよいのか。
まずは心構え、精神論的なところでいえば、「人類が滅ぼされないために」とか、「人類の子孫の繁栄を永遠のものにするために」などという、人類中心の考え方をやめることだ。人間とは、たまたま牙や羽根の代わりに大脳が発達してしまっただけの生き物である。少なくとも宇宙や自然から見たらそうだ。宇宙という母が怒るなら、自然という母が苦しむなら、私らみたいな出来損ないの子供はどうぞ食べてやってください、というくらいの覚悟が必要である。心配しなくても、今のうちにそうやって考えを改めれば、宇宙や自然は人類をとって食おうとは思っていない。「でも滅びるのはイヤだ!」なんてガキみたいな駄々コネ論理を捨ててこそ、真に滅びは免れる。
古来、あらゆる宗教思想が、イイところまで真理をついていながら肝心なところでご都合主義にねじ曲げられてしまったのは、まさにこの、「地上では」人間が一番賢くエライという解釈である。これが根本から間違っていたことに今こそ気づかなければならない。
そのあらゆる宗教は、何らかの神を最高に敬う点でも共通している。人間は、「神がエライ」ことには気づいていたわけだ。しかし、自然がすなわち神であり、自然に生きる動物が神の隣人だとはトンと気づかなかったのだ。自然はただある石ころ、砕いても怒らない石ころだと思っていた。愚かだから殺しても復讐してこない生き物たちだと思っていた。でも違う。人間が、自分たちが地上でもっとも神に愛された存在だと思い、動物や木々や山や海は神を愛する方法さえ知らない存在で、人間に従属するものだと思っていたのは大いなる勘違いである。人間以外の生物も無生物もとっくに神とともにあり、神そのものであり、人間は、知恵という雑音に邪魔されて神の言葉が聞こえなくしまったために自然という楽園を見失ってしまった最も哀れな生き物だったというのがおそらく真実である。神が楽園からアダムを追放したというのは古代人の被害妄想であり、人間は勝手に自ら盲目となり、楽園がどこかわからなくなってしまったのではないだろうか。
私とて人間だから、ことさらに人間をおとしめて楽しいわけはないし、死ぬまでは人間をやめることはできず、他の動物と同じく、人間という生き物として最後まで生き抜く責任があると思っている。ただ、人類がこれまで勝手に勘違いしてきた「人間として」という認識は、根本から改める必要があるということだ。人間が生き物でないとはいわないし、だから宇宙もまだ人間を生かしている。ただ、人間が生かされているのは人間が特別に高等だからではなく、分をわきまえて人間というひとつの生き物として、自然という母を怒らせないように棲息できる可能性が残されているから猶予を与えられている立場に過ぎないということを、今こそ自覚すべきだと思う。
そして、大自然から見たら、人間がおこなっている自然保護や環境保護などは、刀で斬りつけておいて傷口にオロナインを塗っているような愚かなことだということを心に刻むべきである。自然保護をしてはいけないとかもっと大規模な最先端の保護をせよというのではなく、次元は自然保護なんてレベルではないということ、そもそも刀で斬りつけなければ治療も必要なかったのだということを理解し、母に刀を向けない生活をすることが唯一の根本解決だということである。
宇宙が求めていることのうちの、最も大事なところは実はこの精神論だと思う。精神が変われば、あとは自ずと解決するはずである。人間が死ぬ気にさえなれば、実際には宇宙は死ねとはいってないのだから、命あることのありがたさも含めて今後の具体的な対策はどんなことであれ「滅びるよりはよっぽど受け入れやすいこと」だとわかるだろう。
では具体的対策を解釈していくために、改めて今回カギとなっているカードをもう一度見てみよう。そのカードに描かれる「母」は強い。基本的に自分のことは自分で面倒見ることができる。必要なことがあればその時に要求してくる。逆らわなければ我々を愛してくれる。「大いなる母」が病気になっているとしたら、我々「子ら」がすべきことは、母が自己治癒するのを邪魔しないことである。
また、「神経質になりすぎて余計な知恵を際限なく上塗りする」のではなく、迷った時は真に動物として与えられた「本能」に素直になって、動物と共通の魂で正しい行動を感じとるべきである。こう書くと、動物的な本能と勘違いして弱肉強食や肉欲的な行動を正当化する人も出てくるだろうが、そういうのもまた人間の肥大化した大脳がエスカレートさせた偽本能である。本当に本能的な動物の行動は、自分たちの生存に「最低限」必要な領域を確保することで「満足」し、決して「ムダに侵略しない」ものである。「最低限での満足」ができず、どこまでが自己防衛でどこからが侵略かがわかっていない人は、自分が本能に生きているなどというのはおこがましいことである。
さて、そしてそろそろ、というか最後に、具体的な人類改革の核心を述べて終わりにしたいと思う。
宇宙が示してきた具体策は、本当なら、これまで書いてきた精神論がクリアされれば自ずとそうなるものである。が、人間、欲が肥大化した人間は、なかなかその具体案まで到達しないと思う。だから、あえてすごく具体的に宇宙は方法を教えてくれた。これが喜んでできるようなら、あなたは宇宙の立派な子供だろう。
人類に示された方策とはズバリ、「最先端の生活を目指すな」ということだった。SF大好きな科学少年だった私にもちょっとショックだったが、つまりは、「科学が完璧に発達すれば人類は地球を守れるほど進化できる」というのは妄想だと、いい加減自覚せよということだった。今の人類は、ここまで科学が進歩したために地球を病気にしている、ということくらいは自覚している。しかし、その解決を、さらなる科学で補おうとしている。これがもうとんでもない間違いであるということだ。
私自身、自動車の排出ガスが問題なら、クリーンエネルギーの自動車を作れば、なんて思っていたが、私の出したカードを見た妻から「違うでしょう!」と怒られた。多くの人には、まだ当分受け入れられそうにないが、科学を利便性と効率化にばかり応用してきたこと自体が人類の失策だったということに気づかなければならない。本当は、火を燃やしてまで速く移動してはいけなかった。こんなことを書くのは現代人として本当に胸が痛むが、実は、全ての人類を救えるほどの医療技術は必要なかった。病気やケガで死ぬ人は絶対になくならないし、そもそも、病気やケガへの医学的対応を発展させる前に、不必要な事故や病気に逢わないような生活をこそすべきだった。医学の世界で頑張ってきた人たちには今も頭が下がる思いだが、本当に人類がすべきだったのは、事故の被害者の身体を継ぎ接ぎして蘇生する技術を進歩させることよりも、事故に学んで、事故の原因となった乗り物や建築や武器など、本当は行き過ぎていた文明の利器をこそ放棄すべきだった。
難しいことのようだが、例えばクローン技術などはさすがにやばいと思って世界は封印した。そのレベルをもっと下げればいい話だと考えられないだろうか。実際のクローン技術は単に、利害が絡んで封印されただけだったかもしれないが、封印されてホッとした人たちは世界にたくさんいるはずだ。その「ホッとした」ところの科学レベルをもっと下げてみればいいのだ。おそらくそのレベルとは、最低でも産業革命以前のレベルであることがカードには暗示されている。産業革命から人類は、大量に一度に何かをすることを美徳とし、熱効率の大きなものを燃やして強大なエネルギーをえることをしてきた。それをやめることを、ひとつの目安にすべきである。
中世のヨーロッパで、金持ちが高い建物を立てることが流行った。やがて雷が落ちて高い建物が崩れるという事故が相次いだ。その後、危険な高い建物は取り壊され、かつて塔が乱立したという街は、静かで穏やかな町並みを今に残している。
今、人類が作り上げたたくさんの便利なもの、見栄の象徴、「間違った行為をフォローするための技術」に対して、雷が落ちようとしている。雷が落ちる前に取り壊せるかどうかが、本当の意味でこれ以上不必要な犠牲をださずに「人類のあるべきだった姿」に立ち返る分かれ目となる。人類を救うために科学の進歩を願っていた人も、もっと社会全体に目を向けて、「“救い”のそもそも必要ない」人類になろうではないか、と、宇宙は教えてくれたのである。
(占い&文: よーじゅ)
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